やっぱり泣けます。 日曜日の夕刊 (新潮文庫)
重松清の作品は、どうしてこんなに泣けるんだろう。
いつも、いつだって、私を泣かせて、そして暖かい気持ちにさせてくれる。
彼の描く子供は、うそ臭くない。
みんな、ちょっとずるかったり、怠けたり、いじっぱりだったり。
でも、心の底では人を信じてるし、愛を求めてる。
彼の描く子供に、私は自分の中にある子供を重ねているんだろうと思う。
だから、彼らの気持ちと一緒に泣いたり、笑ったりするのだろう。
重松 清という作家に出会えたことは幸せだ。
「父と息子」以外の視点に注目! 日曜日の夕刊 (新潮文庫)
大半のお話で“主人公が男の子かオジサン”と思われる重松作品にあって,
・「チマ男とガサ子」に出る“あまりの細かさゆえ付き合う女にことごとく逃げられる20代男”
・「桜桃忌の恋人」に出る“国文科なのに本をあまり読まず,ノリで太宰が好きと書いちゃう軽い男”や“太宰命のあまり,毎年入水自殺を図るエキセントリックな女”
このように,いつもと若干違う視点が盛り込まれているのが特色でしょうか。
王道を行く父親と息子モノの中では「後藤を待ちながら」でしょうかね。いじめられっ子とその父親の描写が,近い将来そういう年齢に差し掛かる息子を持つ身としては切ない。タイトルが変だなーとは思ったのだけど,元ネタがあったんですね。もっと勉強しなきゃ(笑)。
日曜日に夕刊があったら 日曜日の夕刊 (新潮文庫)
もし、日曜日に夕刊があったら、シゲマツワールドで埋め尽くして欲しい。
本書には、「うーん」という作品もあるけれど、基本的には「さかあがりの神様」など
「シゲマツ標準」(へんな言い方だけど)を逸脱する作品はない。
やっぱり、どこか琴線に触れる作品が多い。
バラエティ−に富んだ12編の作品 日曜日の夕刊 (新潮文庫)
重松節満開の短編集12編です。
40台の男性を主人公に描くことが多い著者ではありますが、この作品集はいろいろな年齢のいろいろなシチュエ−ションの男女が登場します。
しかしながら、やはり個人的には同世代の男性の悲哀を描く作品に惹かれ、中でも
”さかあがりの神様”の暖かさに感動し、
”サマ−キャンプへようこそ”のアウトドアで何もできない父親に自分を投影し、
”卒業ホ−ムラン”の父親の苦悩に同調しました。
中には、サイコホラ−とも取れる”桜桃忌の恋人”と言う、重松作品には異色なものも収録されており、バラエティ−に富んでいる。
1作ずつは40Pほどですので、場所を選ばず読め、心洗われること間違いなし。
さらさらの涙を流せそう… 日曜日の夕刊 (新潮文庫)
重松氏の作品はもっぱら短編集ばかりですが「ビタミンF」のころから、何冊か読み続けています。
彼の作品はいろんな魅力にあふれていますが、私が一番気に入っているのは、押し付けがましさのなさです。
いわゆる「泣ける小説」は巷に数あると思いますが、
「さあ、泣きなさい!」といわんばかりの作為が見え見えのものが多く鼻白んでしまうことが多々あります。その点、氏の作品は
描写や台詞に大人の抑制が効いている、というのか絵画に喩えるとコテコテの油彩ではなく、
淡い水彩画のようで、暑苦しさを感じないのですね。
この短編集はあとがきでも本人が述べているようにやや甘い御伽話的な香りが若干漂っていますが、
それも鼻をつくようないやらしいニオイではなく、あくまで淡く上品なセンスよいものです。
この本も、べとべとしないさらさらの涙を流せる作品集だと思います。