涙がとまらなかった 若きいのちの日記―「愛と死をみつめて」の記録 (だいわ文庫)
普段ビジネス書しか読まない私が、たまたま東京駅の本屋で手にとった。私の生まれる少し前のお話だ。あまりに有名なそのあらすじをしってはいたし、ドリフのパロディコントも知っていたが、きちんと読むのは初めてのことだった。出張の帰り、新幹線のなかで気晴らしに読むことにした。
私もかつて遠距離恋愛をしていた時期があった、また母を病気で早くになくしたので看病する父の姿をみていた。大島さんの日記を通して、そんな愛情の記憶が強くよみがえってきて、新幹線の車内で涙が止まらなかった。恥ずかしかったが読むのを止められなかった。結局社内で読み切ってしまったのだが、新幹線の車内でボロボロと泣いたのは後にも先にも初めてのことだった。一週間ほど、何度も読み返し、その度に目頭を熱くした。周囲の人間は不審に思ったことだろう。そしてその後はカバーかけて本棚にしまった。自分は自分の人生を強く生きよう。そして人を強く愛そうと思った。
手紙にかけなかった本心〜「愛と死を見つめて」と併読が必要 若きいのちの日記―「愛と死をみつめて」の記録 (だいわ文庫)
「愛と死を見つめて」のレビューにも書いたけれど、1960年代にいわゆる思春期を迎えた世代にとっては、この二人の話は、一種のバイブルであった。
少なくともこの時代には、これらの話や同じ大和書房から出ていた「愛と死のかたみ」などのシリーズは、重大な影響を与えた。私もその影響を受け、その後の成長の過程で、女性との接し方に影響があったことは待ちがいない。
ただ、この種の話が、今の日本でそのまま受け入れられるのかは、大きな疑問だと思う。ここに描かれた真実の話は、その後の時代の流れの中で、日本の社会においては、むしろ「源氏物語」の方が分かりやすいくらいになってしまったのだから。
それを、嘆くべきだと、変に力んでる「マコ」の大学の後輩の自分がおかしい。
この本を読んだときに、交換書簡の方と、日記の方とで、大島みち子さんが微妙な心の変化を示しているのが切なかった。そういう変化を読み取れないとしたら、この二人の話は、単なる「古臭い」話と取られておしまいになってしまうであろう。
私は、そうならないことを祈っている。