冷静に事実を積み重ねた評伝。良書だ 評伝川島芳子―男装のエトランゼ (文春新書 625)
川島芳子は、「男装の麗人」と」してセンセーショナルに扱われた。
そのため、実像が見えなくなっているところが少なくない。
清朝末期の14王女でありながら、日本人川島浪速の幼女となる。
当時、満州国建設に絡んでいた浪速とともに中国を行き来するするうちに、
芳子も関東軍との関係を深め、その活動に強く関与したとされる。
その結果、戦後、国民党に逮捕され、昭和23年、処刑される。
本書は、芳子の波瀾万丈の人生を、もはや少なくなった修験や資料をたんねんに積み重ねることで浮き彫りにしていく。
煽るような書き方もしていない。
それはおそらく著者が、まだ20代のシンガーソングライターで、
日本が戦争をしたことぐらいしか知らなかった――と書いているように、
まったく白紙の状態からデータを拾い集めたからだろう。
個人的にはもう少し著者の「意見や主張」を出してもよかったという気がないでもないが、
そもそも「あの戦争」に関しては、今、こうやって淡々と事実を積み重ねたほうが迫力が出るし
説得力もある。
決してワイドショー的にはならず、三流週刊誌のようでもなく、
妙な政治的バイアスもかかっていない。
重く受け止めたい本である。
事実は小説よりも... 評伝川島芳子―男装のエトランゼ (文春新書 625)
川島芳子.この清朝末期の王女でありながら,日本人川島浪速の幼女となり,後に漢奸として中国にて処刑される女性の生き様は,実に波乱万丈だ.幼少時より浪速の影響もあり清朝再興をのぞみながら,16才のころピストル自殺を試み(その養父に強姦されたためとの説),アルバイトのためヌードになったかと思うと,髪を切って男装,さらに大陸に雄飛し行軍や満州建国に参加する.自由な現代でも,これほど強烈な人生を生きる女性はまずいないだろう.
本書は,そんな川島芳子の内面の葛藤を,あくまで学術的な視点から掘り下げて描いている良作だ.著者の寺尾紗穂がシンガーソングライターという異色の経歴を持つ若い女性であることにも興味を惹かれるが,そんなことは無関係に思えるほどの力作に仕上がっている.内面に光を当てている分,川島芳子の行動面の記述が薄くなっているのは惜しいが,いままでのテレビ的解説に物足りなさを感じている読者には特にお勧めだ.
中国への過度の関わりが必然的に生み出す悲劇のプロトタイプ 評伝川島芳子―男装のエトランゼ (文春新書 625)
さまざまな関係者の営業上の理由でしょうか、真実と創作の区別がつかなくなる形でしか記憶が維持されることのない川島芳子です。しかしこの作品には脚色や誇張はありません。後代の奇妙な概念操作によるフェミニズム的鋳型へのはめ込みの作業も注意深く避けられています。著者は丹念に数少ない資料と残り少なくなった関係者の証言を積み重ねていきます。資料が見つからない時期については、あえて想像を広げることなく、数少ない事実を当時の文脈の中に限定的な形で整理するだけで、それ以上の論理の飛翔は注意深く避けられています。「モノクローム」の時代の描写にはそれがふさわしいのかもしれません。浮かび上がる真実は、政治の道具としての運命を、生まれたときから与えられた主人公の姿です。その実像は、日中満での永遠の寄生者としての生活です。政治が正統性のかけらを必要とする限りにおいてのみ、そのparasiteとしての存在は意味を持ちます。それ以外は、モダンという時代性を象徴しながらもすべて非生産的な非日常への模索です。その模索の果てに待ち受けていたのは、国民党による「漢奸」としての抹殺です。もうひとつ浮かび上がるのは、社会的な人体実験の失敗です。清朝のお姫様を日本で育てることにより、「日中間の架け橋を作り出す」という明治の大陸浪人と中国のアナクロニストの想像上の組み合わせが作り出した実験が、20世紀初頭の東アジアの政治情勢の中でもたらしたのは、最後まで現実性に欠ける奇妙なひとつの不幸の形でした。ただひとつこの人生の中で現実性を持つのは、国民党による政治裁判だけだったというのは皮肉です。ただひとつ著者が作者としての想像力を垣間見せるのは、芳子の和歌の解釈です。